歌枕 阿武隈川(あぶくまがわ)
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・場所:福島県〜宮城県 宮城県岩沼市押分 Yahoo地図 ・説明:福島県から北流して宮城県に入り太平洋にそそぐ川
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小山の渡し跡
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・場所:宮城県角田市鳩原下 Yahoo地図 |
藤原 実泰(ふじわらの さねやす)
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・説明:1196−1228年 33歳 鎌倉時代の公卿 一条能保(よしやす)の三男 |
君が世に あぶくま川の わたし舟 むかしの夢の ためしともがな
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きみがよに あぶくまがわの わたしぶね むかしのゆめの ためしともがな
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歌意:
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1995年(平成7年)槻木大橋落成記念 建立
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この時代の天皇:後幾多院:後宇多天皇(ごうだてんのう)鎌倉時代の第91代天皇
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2014.4.14
2014.4.14
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阿武隈川槻木大橋 |
・場所:宮城県柴田町槻木下町 Yahoo地図 |
藤原 秀宗(ふじわらの ひでむね) |
・説明:藤原秀能・秀康・秀澄の父 |
新後撰和歌集
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人しれぬ 恋じのはてや みちのくの あぶくま川の わたりなるらむ
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ひとしれぬ こいじのはてや みちのくの あぶくまがわの わたりなるらむ
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歌意:
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2014.4.22
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阿武隈川槻木大橋 |
藤原 範永(ふじわらの のりなが) |
・説明:?−?年 平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人 和歌六人党の一人 |
新古今和歌集 巻9−867
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君にまた あふくま川を 待つべきに 残り少なき 我ぞかなしき
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きみにまた あふくまがを まつべきに のこりすくなき われぞかなしき
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歌意:阿武隈川の名前が示すようにあなたにまたお逢い出来る時を待つべきですが、やはり残り少ない人生の私には悲しいことです。
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2014.4.14
2014.4.14
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阿武隈川槻木大橋 |
藤原 秀能(ふじわらの ひでよし/ひでとう)
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・説明:1184−1240年 鎌倉時代初期の武士、公家、歌人
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景勝四天王院和歌
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年経ても あぶくま河の 友千鳥 なく音身にしむ 夜半の月影
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としへても あぶくまがわの ともちどり なくねみにしむ やはんのつきかげ
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歌意:
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2014.4.22
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阿武隈川槻木大橋 |
藤原 俊成女(ふじわらの としなりのむすめ)/俊成 卿女
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・説明:1171−1251年 鎌倉時代前期の歌人 新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人
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建保名所百首
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空清き 雲ゐの秋の よろずよに 逢くま河の 波の月かげ
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そらきよき くもゐのあきの よろずよに おうくまかわの なみのつきかげ
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歌意:
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2014.4.22
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阿武隈川槻木大橋 |
藤原 定家(ふじわらの さだいえ(ていか))
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・説明:1162−1241年 鎌倉時代初期の公家・歌人 藤原俊成の子 「ていか」と音読みされることが多い。 |
思ひかね つまどふ千鳥 風さむみ 阿武隈川の 名をやたづぬる
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おもひかね つまどふちどり かぜさむみ あぶくまがわの なをやたづぬる
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歌意:
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建保名所百首
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たちくもる あふくま河の 霧のまに 秋をばやらぬ 関もすゑなむ
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たちくもる あふくまがわの きりのまに あきをばやらぬ せきもすゑなむ
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歌意:
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阿武隈川槻木大橋中央 |
詠み人知らず
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古今集/東歌 巻4−1087 |
阿武隈に 霧立ちくもり あけぬとも 君をばやらじ 待てばすべなし
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あぶくまに きりたちくもり あけぬとも きみをばやらじ まてばすべなし
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歌意:阿武隈川に霧が立ちあたりがくもり夜が明けたとしても、あなたを行かせたくない 待つのはどうしようもないから
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2014.4.14
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高階 経重(たかしなの つねしげ) |
・説明:?−?年 平安時代後期の貴族 左中弁・高階明順の子 |
新古今集
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ゆくすゑに あふくま川の なかりせば いかにかせまし 今日のわかれを
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ゆくすゑに あぶくまがわの なかりせば いかにかせまし きょうのわかれを
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歌意:これから行く先に阿武隈川がなかったら、一体どうしたらいいのでしょう、今日のお別れを。阿武隈川がありますから逢うこともありますね。
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2014.4.14
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藤原 頼通((ふじわらの よりみち) |
・説明:992−1074年 平安時代中期の公卿 太政大臣藤原道長の長男 |
金葉和歌集
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君が代に あふくま河の そこきよみ よよを重ねて すまんとぞ思ふ
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きみがよに あふくまがわの そこきよみ よよをかさねて すまんとぞおもふ
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歌意:
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2014.4.22
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藤原 家隆(ふじわらの いえたか/かりゅう)
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・説明:1158−1237年 鎌倉時代初期の公卿、歌人 「かりゅう」とも呼ばれる。 初名:顕隆。法名は仏性、壬生二位 |
新古今集
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君が世に あふくま川の うもれ木も 氷の下に 春を待ちけり
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きみがよに あぶくまがわの うもれぎも こおりのしたに はるをまちけり
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歌意:
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2014.4.22
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二条 為重(にじょう ためしげ) |
・説明:1325−1385年 南北朝時代の公卿 歌人 二条為冬の子 |
新後拾遺和歌集
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たちくもる 霧のへだたも 末みへて あふくま河に あまる白波
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たちくもる きりのへだたも すえみへて あふくまがわに あまるしらなみ
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歌意:
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2014.4.22
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詠み人知らず・題知らず
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後撰和歌集 0520
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よとともに 阿武隈川の 遠ければ 底なる影を 見ぬぞわびしき
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よとともに あぶくまがわの とおければ そこなるかげを みぬぞわびしき
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歌意:
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2014.4.22
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後鳥羽 天皇(ごとば てんのう)
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・説明:1180−1239年 平安時代末期〜鎌倉時代初期の天皇 高倉天皇の第四皇子として生まれる。
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景勝四天王院和歌
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風はやき あふくま河の 小夜千鳥 涙なそへそ 袖の氷に
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かぜはやき あぶくまがわの さよちどり なみだなそえて そでのこおりに
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歌意:
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2014.4.22
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藤原 道長(ふじわらの みちなが) |
・説明:666−1027年 道長は、自分の娘を天皇の后にして、天皇家の親せきになり。
后である娘と天皇の間に男子が誕生すると、その子を即位させ、天皇に代わって政治を行う摂政となり、大きな力を持った。自ら政治を行うだけではなく、息子も重要な役職につけ藤原氏の権力を強いものにし、「摂政」の職を頼通にあたえたのです。頼通はその後、天皇が成人すると「関白」となり、政治を続けた。摂政と関白が実権をにぎる政治を摂関政治という。
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詞花集
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君が世に あふくま川の 底清み 世々を重ねて すまむとぞ思ふ
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きみがよに あぶくまがわの そこきよみ せぜをかさねて すまむとぞおもふ
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歌意:
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源 重之(みなもとの しげゆき) |
・説明:生没年未詳 平安時代中期の官人、歌人 源兼信の子
三十六歌仙の一人 陸奥守藤原実方に随行し、陸奥で没した |
阿武隈に 霧たてといひし 唐衣 袖の渡りに 夜も明けにけり
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あぶくまに きりたてといひし からごろも そでのわたりに よもあけにけり
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歌意:
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藤原 輔文(ふじわらの すけふみ) |
・説明:?−?年 |
後撰和歌集
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阿武隈の 霧とはなしに 終夜 立ち渡りつゝ 世をもふるかな
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あぶくまの きりとはなしに よもすから たちわたりつつ よをもふるかな
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歌意:
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藤原 実清(ふじわらの さねきよ)
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・説明:1091−?年 |
秋の夜の 月はのどかに 宿るとも 阿武隈川に 心とまるな
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あきのよの つきはのどかに やどるとも あぶくまがわに こころとまるな
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歌意:
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与謝 蕪村(よさ ぶそん)
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・説明:1716−1784年 大阪市都島区生まれ。 江戸中期の俳人、画家。松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人
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落日庵句集 |
阿武隈や 五十四郡の おとし水
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あぶくまや ごじゅうしぐんの おとしみず
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歌意: 季語:落とし水:田水を落す:秋 五十四郡:奥州にある54の郡:平安末期から中世初頭にかけての状態を反映した数
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河野 愛子(こうの あいこ)
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・説明:1922−1989年 66歳没 宇都宮市生まれ |
夏の靴 しまひてをれば げに遠く 光にうねる 阿武隈川は
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なつのくつ しまひてをれば げにとおく ひかりにうねる あぶくまかわは
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歌意:
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与謝野 晶子(よさの あきこ)
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・説明:1878−1942年 本名:晶 大阪堺甲斐町の和菓子商の娘として生まれ、 十歳頃に新聞で与謝野鉄幹の歌を知り深く感銘を受け、1900年(22歳)鉄幹が「明星」を創刊すると同誌で歌を発表した。8月に初めて鉄幹と会い恋心が爆発、翌夏には鉄幹を追って家出同然で上京し、鳳晶子の名で第一歌集「みだれ髪」を刊行、その2ヵ月後に妻と別れた鉄幹と結婚する。
晶子23歳、鉄幹28歳。女性が自我や性について語ることがタブーだった保守的な明治の世にあって、愛の情熱を自由奔放かつ官能的に歌い上げた「みだれ髪」は一大センセーションを巻き起こした。近代日本を代表する歌人として活躍
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なでしこや 阿武隈川の 石原に 鮎なますすと 氷くだきぬ
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なでしこや あぶくまがわの いしはらに あゆなますすと こおりくだきぬ
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歌意:
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若山 牧水(わかやま ぼくすい)
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・説明:1885−1928年 宮崎県東臼杵郡東郷村生まれ
旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好き
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つばくらめ ちちと飛び交ひ 阿武隈の 岸の桃の花 いま盛りなり
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つばくらめ ちちととびかひ あぶくまの きしのもものはな いまさかりなり
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歌意:
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島木 赤彦(しまき あかひこ)
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・説明:1876−1926年 49歳没 長野県諏訪市生まれ 伊藤左千夫の弟子 明治・大正時代のアララギ派歌人 茂吉とは友人であり良きライバルであった。
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阿武隈の 川の雨雲 低く垂り 水の音かそ かに夕さりにけり
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あぶくまの かわのあまぐも ひくくたり みずのおとかそ かにゆうさりにけり
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歌意:
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篠田 悌二郎(しのだ ていじろう)
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・説明:1899−1986年 86歳没 東京都生まれ 俳人 本名: 篠田悌次郎 三越に勤務する傍ら、水原秋桜子に師事
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名無し茸 阿武隈川に 抛つたり
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ななしたけ あぶくまがわに ほうつたり
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句意:
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山口 青邨(やまぐち せいそん)
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・説明:1892−1988年 96歳没 本名:吉郎(きちろう) 盛岡市生まれ 俳人 鉱山学者 工学博士 東大工学部教授 東京大学名誉教授 高浜虚子の門人 初号は泥邨 |
阿武隈の 瀬々にかかれる 鮎の簗
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あぶくまの せせにかかれる あゆのやな
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句意:
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加藤 楸邨(かとう しゅうそん)
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・説明:1905−1993年 88歳没 東京生まれ 国文学者 俳人 本名:健雄(たけお) 生活に密着した人間臭の濃い句風で知られる人間探究派 1940年(昭和15年)「寒雷」を創刊 俳人の加藤知世子の夫
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阿武隈が 若き薄の 上を充たす
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あぶくまが わかきすすきの うえをみたす
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句意:
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斎藤 茂吉(さいとう もきち)
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・説明:山形県上山市生まれ。1882−1953年 71歳没 医学と歌人として活動 山形の人々と山河を愛し、父と母を愛し続けた歌人 |
たひらかに 水のおもての ひかりをる 阿武隈河を 見て過ぎにけり
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たひらかに みずのおもての ひかりをる 阿武隈河を みてすぎにけり
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歌意: |
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